震えながら日の出を見たり、どこまでも続く電信柱やカンガルーの群と踊ったりして、砂漠での数日が過ぎた。同行の弥生さんが先に帰るので、ロングリーチ空港へ送って行く。そこから、スティーブの運転で海辺の町マッカイを目指す。40年以上もラジオのDJしていたジョン、大学生で南アフリカからの移民のカイラと僕を乗せて、カンガルーの干からびた毛皮が累々と横たわる道をスティーブがガンガン飛ばす。日が傾き薄暗くなった頃、飛び出して来たカンガルーがどしんとバンパーに当たった。車を止めて見に行くと、ぐったりとしている。大きな根っこを拾ってきたスティーブがものすごい顔でカンガルーの頭部を打つ。生まれてはじめて生き物をぶったと深い声を絞り出す。カイラと僕は、闇の中で目を凝らし、ライト!レフト!ストップ!と潜んでいるカンガルーを見つけると声をかけ続けた。徐々に木が増えてくる。真っ暗な林にいくつもの火が浮んでいる。野火なのか。海辺の町に着くと日付が変わっていた。出発して15時間以上経っていた。
帰国して、だいぶしてからこの映像が送られてきた。撮られているとは知らずに、木と踊っていた時のものが編集されている。インドネシアの若き作曲家のガルディカ・ギギーさんに、音楽を依頼してはどうかとスティーブに提案する。ピアノと、淡路島の古道具屋で買ったKORGの古いキーボード。音がカッコイイと映像はどうにでもなる。
前回のは、同行している渡辺弥生さんが一応記録のためにおいたピアノの上のビデオカメラの映像。これは、スティーブさんと相棒のカイラさんが撮影し編集して音楽も加えたもの。色が、ハリウッド映画みたいだ。
老人ホームでのワークショップは、あれっ?こんなに違和感なくできたっけ、というくらい日本でやっている時と変わらなかった。
ワークショップではほとんど話すことは無いので、世界中どこででもできるといえばできるけれど・・・。
スティーブさんが来いというので来たけれど、滞在の目的というか、映像作品を作るのだけれど、その方法がよく分からない。カメラやドローンを揃え、トヨタの四駆もこのために買い、荒野の老人ホームもロケハンで見つけ、スティーブさんはやる気満々である。でも、その先がよく分からない。どうすればダンスがうまれるのか、映像作品がうまれるのか。僕にも彼にも分からない。
とりあえず、寝て起きたら老人ホームで、そこでいきなりワークショップ。その後は、衣装を着て、砂漠で円になって踊る、ドローンがクマンバチのような音を立てて飛んでいく。僕と弥生さんは、どうしたもんだろうと思いながらもスケジュールに従う。そんなにどんどんダンスはうまれへんで、と少し違和感を感じながら。
朝起きると老人ホームだった。前夜は、庭で満点の星とカンガルーを見た。
スティーブが「10時からワークショップ」と言う。ホールへ行くとピアノがあったので、やよいさんに弾くように言った。
ダンスがはじまった。
2週間のオーストラリア滞在の初日。
今日はベン・スハルトさんの20年目の命日。はじめてお会いした時、父の兄弟に出会ったかのようなとても不思議な感覚だった。すでに踊りはボチボチとはじめていたが、こんな風になりたいと強く思うようになったのはベンさんの踊りを見てから。留学してすぐに訪れた大学の学部長室で再会した。留学の1年後、ジョグジャ芸大と横浜ボートシアターの合同公演がジョグジャであり少し手伝いをした。舞台でも舞台裏でも踊る姿を見た。雨を祓う舞。ベンさんが踊ると聞くとあちこち追っかけた。亡くなる年に、大学のホールで踊った時に一言感想を言ってくれたこと。王宮の広い舞台の上で見た間近に歩く姿。自宅へお見舞いへ行った時の親しげな姿。辿り着くことはできないけれど、辿ることはできる。
横浜ボートシアターの遠藤啄郎さんと
http://endou-takuo.blogspot.jp/2011_05_01_archive.html
作曲家野村誠さんのブログにも
http://d.hatena.ne.jp/makotonomura/20110607
貴重な話が出てくる。
きょうは ゾンタック さわやかな
きょうは ゾンタック ふりそそぐ
忖度 斟酌 癇癪 拝借
余裕綽々 癪に障る
イケイケ ゴーゴー
カムカム ゴーゴー
融通 ユーツー
憂鬱 ミーツー
えこひいき えぐいって エゴ言って
おもてなし ひとでなし ろくでなし
以心伝心 維新転身
おもんぱかる キミ
知恵を出す ボク
気が利く 目が利く 顔が利く
きょうは ゾンタック さわやかな
きょうは ゾンタック せんたく日和
せんたく かわかない そんたく わからない
くちきき みぎきき ひだりきき
おもねる へつらう こびへつらう
愛想笑い 作り笑い 苦笑い
空気 顔色 行間
読む 読まない 読まなければ
毀誉褒貶 情状酌量 先行服従
イケイケ ゴーゴー
カムカム ゴーゴー